「祈りの日」

 厳しい冬が舞い戻ってきたような激しい風雪が吹き荒れた3月11日(水)、東日本大震災追悼全校集会「祈りの日」を行いました。
 4年前の3月11日に起きた「東日本大震災」とはどんな災害だったのか、毎年、被災地訪問で見学している陸前高田市を例に話を進めました。
 話の中で、岩手県警が上空から撮影した陸前高田市津波に襲われる映像を約60秒見てもらいました。この全校集会は、事前に保護者の皆さんに趣旨説明をして、津波映像の視聴についてご承諾をいただいた児童に対して行いました。「津波映像は見せたくない」とされた保護者の児童については、別室で担任が集会の趣旨に沿った話を、映像を使わずに行っています。

 
 映像には、押し寄せてくる津波ばかりではなく、海に引き戻そうとする「引き波」のすごさも映し出されています。「奇跡の一本松」の「奇跡」という言葉の意味があらためて実感できたのではないかと思っています。さらに、その日の避難所の様子や仮設住宅のために狭くなった小学校の校庭の様子も説明しました。

 
 
 小友小学校では、現在、被災地支援として「空缶回収の益金と募金からの義捐金活動」と陸前高田市特別養護老人ホーム「高寿園でのボランティア活動」に取り組んでいます。今日の集会では、東日本大震災発災から4年目を迎えて、今までの「がんばってください。」という「何かをしてあげる」という気持ちの支援から、自分たちの生活を振り返りながら「一緒にがんばりましょう。」という気持ちの支援への切り替えを意識して話を進めました。そのため、被災しながらも「自分たちができることをがんばっている」子どもたちの姿として、「不便な避難所生活の中でも勉強を続けた兄弟」、「家族のために遠いところから何回も何回も水を運んだ少年」、「地域のお年寄りのために、急な長い坂を上り下りしながら1日3回も食事を運んだ姉妹」を紹介しました。(画像は著作権のためにホームページでは紹介できません)

 このことから、自分たちの生活を見直し、「自分たちも勉強がんばろう」、「家族のためにできることをしよう」、「好き嫌いをしないで食べよう」など普段通りの生活ができることへの感謝の気持ちを高めたいと考えていました。
しかし、子どもたちには、話の前半で見せた陸前高田市の被害や避難所や仮設住宅の様子などが印象的だったようで、集会後のふりかえりの感想には、「自分たちにもできること」として、やはり「募金」や「ボランティア活動」に今以上にがんばりたいという思いが強く表れた感想が多かったです。子どもたちの感想を紹介します。

○ 高田松原津波で流されたけど、一本だけの松が今も残っているのはすごいです。東日本大震災で避難した人たちが具の無いみそしるとおにぎりだけの食事は大変だと思いました。津波でなくなった小学校にあった机やいすが流されたけど、今は学校に戻ってよかったです。ぼくは、広い校庭でマラソンをがんばりたいと思います。(1年男子)

○ 物や食べ物を粗末にしないのは大事です。嫌いな勉強だけどがんばる。食べ物が下に落ちても踏まないし、わざと落としません。(1年女子)

○ ぼくは目をつぶりながら陸前高田市が前のように緑の多い町になってほしいな、建物がたくさんある町にしたいなと思いました。ぼくは、募金の時は1円でも多く入れて、豊かな町にしたいなと思いました。(2年男子)

○ 副校長先生に津波の映像を見せてもらいました。多くの家が波にもっていかれるのが分かりました。被災地で何かできることがあったら何でもやりたいと思いました。(3年男子)

○ 副校長先生のお話を聞いて、児童会では募金をしているので、被災した人たちの力になって被災地を復興させたいです。陸前高田市津波で流されてしまう前の写真を見て、津波でこんなに町が変わってしまうということが分かりました。(4年女子)


○ わたしが一番心に残ったことは、家族のために水を運ぶ少年の写真です。津波はわたしが考えていた以上でした。家や車、木や人が無くなっていました。わたしは、これから不自由のない生活に感謝して被災地が早く復興するように、ボランティア活動や募金、その他にも支えになれるように、被災地の人たちと一緒にがんばろうと思いました。(5年女子)


○ 副校長先生の話を聞いて、被災地の人たちがどんなに苦労をしていたのかが分かりました。だから、ぼくはこれからも被災地復興募金やボランティア活動をがんばりたいです。ぼくたちの普段の生活は恵まれているということを思いました。(5年男子)

○ 副校長先生の話を聞いてみて、今までは「がんばって」と一言だけだったけど、これからは「私たちも一緒にがんばるので、皆さんもがんばってください。」と言えるようにしたいです。私たちにもできることがあるので、努力をしていきたいです。(6年女子)

○ 今日の話を聞いて、津波の被害に遭った地域は大変だと思いました。私の家は停電・断水があり、寝る時はみんなが一つの部屋で寝ました。リビングと台所がつながっていて主にそこで生活しました。それだけでも大変だったので海岸沿いの地域の人はもっと大変だったと思います。これから、当たり前の生活に感謝して過ごしたいと思います。(6年女子)


○ 今日、「祈りの日」の集会を通して東日本大震災から4年が過ぎたことを実感しました。そして、副校長先生のお話を聞いて、たしかに僕たちは募金をして「がんばってください」だけではなく、ボランティアなどの活動もして、「被災地の人たちもがんばりましょう」と言った方が、1日も早く復興できるように思えるので、「自分たちもがんばるので」という言葉は、とてもよい言葉だなと思いました。(6年男子)

 当たり前の生活が出来ていること、家族が一緒にいること、電気やガス・水道が普通に使えること
食べるもの、飲み物が簡単に手に入ること、学校に行き、友だちがいて、勉強や遊びができること・・・
東日本大震災発災から4年目を迎え、当たり前すぎて感じなくなっている「大切なもの」を、子どもたちと一緒にあらためて見直していきたいと思っています。